日本へ帰国物語No.7
前回の続きです。
体調不良がすごくて、仕事にも行けずにふらふら歩いてベンシャリ公園に行き、
芝生にほぼ一日中寝ながらラインで仕事の指示を出すという生活が3カ月くらい続きました。
朝も起きれない、食べ物も喉を通らない、仕事もできないので、上司からもお叱りを受け、退職して日本に帰るしか道はありませんでした。
ちょうど子が日本へ帰りたがっていたのと、進路的にちょうどいい時期だったので、
日本に帰ることに決めました。子の卒業式にはなぜか私は出席したくないと泣き続けていました。精神状態は普通でなかったと思います。
日本に帰ってからどこに住もうか、仕事はどうするかが何一つ決めていなかったので、不安でした。でもこのままタイに残っても体調が悪化して日本に戻れなくなる不安もあったので、故郷日本へ帰ろうと決めました。
私の場合、去り際はすっごく嫌になって辞めることが多いです。苦しくなって逃げたくなって辞めます。そこまで苦しむ前に辞めたらいいのに。持たなくていい責任感と真面目さがどんどん自分を苦しめていることに気が付かない。
嫌でも努力で何とかなると自分に言い聞かせて。どこまでも自分を追い詰めていく。
それが間違った方向へ向かっているとは気づかずに。
次回へ続く
日本へ帰国物語No.6
前回の続きです。
体調不良も最高潮で、頭はいつも飛行機に乗ってるみたいにふわふわしているし、眠れない、食べれないこのまま終わっていくのかという恐怖でいっぱいでした。
寝ようとすると、頭の中で火花が散って目がさめてしまうし。人間は何より眠れなくなると本当に頭も狂うような感覚になるんだと分かりました。
その頃の上司が「重曹とクエン酸を水に混ぜて飲んで」みたらいいかも、とのことで
何も食べれないので、試しに飲んでみました。健康な状態でしたら体調が整えられるかもしれませんが、私の場合元々の栄養も足りていない状態でしたので、特に良くなることはありませんでした。
そして、精神的にも追い詰められた理由は、コロナ事情でした。タイでは夜10時以降
の外出禁止命令、外出を控えて家にいるように、スーパーでは検温、マスク必須など、禁止事項がとにかく多かったです。それを破った場合は逮捕されますので、ちょっとくらいいいだろうということにはなりません。これはダメと言われると今まで夜外に出てなかったのにかかわらず、出たくてしょうがなかったです。💦
次回へ続く
日本へ帰国物語No.5
前回の続きです。
脳神経外科で血圧が測定不能(175以上)の状況でしたが、またしても安定剤を処方されさらに整形外科を受診するよう言われました。でも病院でたらい回しにされるのは嫌だと思い、その後は病院には行きませんでした。
私の病院嫌いは一体どこからやってきているのか分かりません。病院や先生に対してどこか信用できないと感じます。病院の先生がそれぞれの患者さんの病気の根本原因を考えて治そうとしているのか、患者さんを症状のデータの一部として対処して、病気の原因を一切考えずに、表面的な(痛み)症状だけをなくそうとしているか。
それが私にとっては一番の重要な部分です。
食欲もなく、睡眠もとれずに、安定剤を飲んでみようと一錠飲んでみました。
私の場合、ふわふわとして眠たくなりましたが、動悸、発汗、などの副作用がひどくて
それ以降は飲みませんでした。
手がビリビリしびれたまま、夜は眠れず、食べれず、仕事もできず何もかもが嫌になり,
恐ろしくなりました。恐れが恐れを引き寄せてしまうのを知らずに💦
完全にうつ状態です。
次回へ続く
日本へ帰国物語No.4
前回の続きです。
病院嫌いでした。💦
体調不良はずっと続いていました。
そのうちシーロー(軽トラックの荷台に椅子とビニールの屋根がついたタクシー)から降りようとしたとき、手を思いっきりついて手首から手のひら全体に痺れが起こりました。血管も浮き上がっていました。
骨が折れたか、何かずれたから痛いのか、、、それで手のしびれがあるとサミティベート病院へ行きました。
日本人専用ブースで相談すると、「脳神経外科」を受診するよう案内されました。
脳神経外科の先生は私の負傷した手にアルコールをぬって感覚があるかどうか検査しました。「感覚がある」というと、「脳の異常ではなくて手をどこかにぶつけませんでしたか?」と言われました。私はもう気が動転していて、シーローから降りるときに多少痛みを感じていたのですが、家に帰ってベッドから起き上がるときまた手をついたとき、本格的に痛みがひどくなっていたのですが、本当にそれが原因か興奮状態で認めることが出来ませんでした。先生に「ぶつけていません。」と言い張りました。
でも先生は「整形外科」を受診するように言われました。
サミティベート病院はどの科を受けるにしても体温と血圧を測るのですが、何とその時の血圧が高すぎて測定不能になったのです。その時の血圧は175で赤文字でピーピーピーピー測定不能と書かれていました。
脳神経外科の先生はその血圧を見て「ちょっと興奮しているだけだろう、病院ぎらいですか?」となだめてはくれましたが、それを見た私はさらに興奮状態になりました。
手は痺れて動かせないうえに、血圧が測定不能( ゚Д゚)。
次回へ続く
日本へ帰国物語(うつからの脱却)No.3
前回までの内容は胃カメラで異常なしだけど、不眠で一カ月で5キロも体重が減っていたので、安定剤を処方されたところまでです。
続き
タイはドラッグ王国みたいなところで、ドラッグストアへいけば、日本では処方箋がなければ手に入らないような薬まで手に入れることができます。 そしてコンビニに解熱剤、虫刺され薬、咳止め、胃腸薬なども常時おいてあります。タイに来た当初、ヤードム(スースーする、嗅ぎ薬)が日本で発売できない成分が含まれているのも知らず、タイ人のまねをして鼻にスースーやっておりました。
(ヤードムは私には副作用はなかったです。)
病院で抗生物質を病院で処方してもらうと、日本でもらう抗生物質の3倍くらいの大きさで喉に詰まらせそうで、割って飲んだりしていました。
タイ人は薬を常備していて、頭痛薬とか胃腸薬とかを口臭予防タブレットのようにポッケから出して適時飲んでいます。
私は副作用が強く出るほうなので、薬を飲むにはかなり慎重になりますが、タイ人は飲みなれているせいか、副作用が出にくいのかもしれません。
続く
日本へ帰国物語(うつからの脱却)No2
前回の続きです。
2020年6月にバンコクから戻りました。
バンコクではとにかく「努力して、克服して、まじめに頑張る。」をいつも胸に、仕事と家庭をこなしていました。
それより更に2年前の夏、日本からバンコクへ帰国した後から喉の違和感を感じました。すぐにバンコクサミティベート病院の耳鼻科に診てもらったところ(鼻から入れるスコープ)、がんではないが、「逆流性咽頭炎」とのことでした。胃酸を抑える薬2週間分をもらって帰りました。
でも2週間、薬を飲み終わっても一向に喉の違和感は消えません。絶対に逆流性胃腸炎ではないなと感じました。のどの違和感は24時間感じるものですから、不快でなりません。これをきっかけに体調不良がひどくなります。
不眠、動悸、ホットフラッシュ、いらいら、頭はぐらぐら、夜中に汗がびっしょりなど。常に寒いまたはあせびっしょりかで体温調節不能、食欲不振、更年期にそっくりの症状だと思います。💦
タイのバンコクみたいな暑い国で、ただでさえ体力が必要なのに、食べ物が食べれなくなったら命とりです。
それなのに体重は1カ月で5キロは痩せました。
3カ月程して、ぜんぜん食べられないのでサミティベート病院の胃腸科へ行ったところ、1カ月で5キロ減は重大な病気があるかもしれないとのことで、すぐに胃カメラを行いました。みんな眠る薬を使うのだそうですが、私は使わずに胃カメラしました。
結果は「異状なし」とのこと、夜に一睡もできないと話したところ、安定剤を処方されました。もう精神科しかないかもというところまで追い込まれました。
が私は何と大の病院嫌いなのです。💦
続
コロナにより日本へ帰国(うつからの脱却)
皆様、お久しぶりです。2020年6月に日本へ帰ってまいりました。帰る飛行機はANAでしたががらがらで25人くらいでした。
タイに8年いましたが体調不良もあり(のどの違和感、動悸、不眠、頭がぐらぐら、寒さと暑さがわからず体温調節の不可、うつ状態、高血圧、血糖値高め)、何とか戻ってきました。羽田空港ではPCR検査を行い、鼻に綿棒をぐりぐりされ、ひどい痛みを感じました(もうやりたくないよぅ)。結果は後日、メールで知らされるとのことで、公共機関を使わずに家族に迎えに来てもらい自宅まで戻りました。その2日後にはメールで「陰性」の結果が来ました。(やったー!)ただ2週間は自宅から出てはいけないので、家で過ごしました。
日本に帰ってきて、道に咲くタンポポを見たとき涙がでました。(日本には四季があり美しいな、タンポポも夏に必ず花を咲かせて強いなと感じました)。バンコクではとにかく毎日がジェットコースターのように過ぎ、自分の体のことは後回しにしていました。
自分が幼い時から浸み込んでいた、「自分に無理させてでも頑張る、努力する、克服する」の考えでタイバンコクで過ごしていました。やっぱり限界がきたのですね。うつ状態は日本に帰ってきてもしばらくは改善されませんでした。体を癒す方法が分からずに
いました。
続